種を与り、稲を培う

 

 1959年の秋、伊勢地方を2度にわたり襲った台風が伊勢神宮の神田の稲という稲をなぎ倒していきました。嵐が過ぎ去った後、全滅かと思われた神田の中にすっと立つ稲が数本だけ生き延びているのが見つかります。その奇跡の稲は宮司により門外不出の種「イセヒカリ」と特別に命名され、この稲を決して絶やしてはならないという祈りのような思いとともに、人々の手から手へと静かに受け継がれていきました。

 2003年のある日、そのイセヒカリが、ほんの一握り和久傳に届けられます。その小さな重みが儚くも強い縁のつらなりを伝えていました。

 辿り着いたイセヒカリは、和久傳のふるさと京丹後にある山奥の棚田に植えられました。地元の農家に手ほどきを受けながら、和久傳の料理人達をはじめ従業員全員とお客様とともに苗を植え、草を引く日々が始まります。最初の夏は猛暑と台風にも見舞われ気を揉んだ末の晴天の朝に、小さな白い花をほころばせました。秋が深まると棚田の空にサギが飛び、稲穂は見事に米を実らせました。

「和久傳は、1870年、桑村傳右衛門(元の屋号は湧屋))と妻の久が丹後で細々と営みはじめた料理旅館が原点です。「和をもって、久しく、傳える」その志を屋号に込め、丹後の地とともに歩み続けてきました。和久傳のふるさとには、伊勢神宮にゆかりの深い元伊勢三社も鎮座しています。お伊勢さんからはるばる届いたその種籾を、元伊勢に守られてきた地の私達が絶やすわけにはいきません」ー高台寺和久傳女将 桑村祐子

 「収穫したイセヒカリは、水に3時間ほど浸さなければ、ふっくらと炊き上がらない超硬質米でした。汗を流し泥をかき分け、自らの手で刈った米の味は格別。料理に携わる者として、土や水に学び、縁をつなぐ喜びを感じる瞬間です。」

 イセヒカリの田んぼを日々見守るのは、この地での米づくりを知り尽くす本田進さん。「旅館時代に支えてもらった丹後の地に恩返ししたい」という和久傳の思いに打たれ、10年以上、その米づくりに協力しています。

 本田さんは長らく完全無農薬・有機栽培を貫いてきました。肥料はすべて手づくり。積雪が始まる冬場には、そこに蟹殼が加わります。高台寺和久傳の名物料理「蟹焼き」に使った間人蟹の殻を雪の上にまくのです。

 「蟹殼を土にまくと、柿もスイカも甘くなる。昔から浜辺の人がそう言っていました。蟹のキチン・キトサンが土壌の善玉菌の養分になって作物の糖度を上げるそうです。蟹殼は、雪の中でふわふわに溶けて、養分として土に還る。塩分も、雪に溶けて、土に残ることなく川に流れていく。不思議なものです」

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 「丹後富士」と呼ばれる高竜寺ヶ岳の湧き水が潤す久美浜町市野々の田んぼは、昔から「日当たりが悪いのに、誰がつくってもおいしい米ができる」と言われてきました。本田さんは、この地の落葉広葉樹林と風化花崗岩が生み出す弱酸性の水が「米が喜ぶ水」だからだろうといいます。特に、川上谷川の最上流域に位置するイセヒカリの棚田は、湧きたてのきれいな水が稲の一本一本を潤し培うのです。

 水温の低い湧水で育ったイセヒカリは、玄米のまま地元大宮町の酒蔵に運ばれ、そこで再び特別な水に出会います。

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